そうぶんぜ

逆から読んでね

初めてのcitrusコンサート

高校時代の友人から久しぶりにメールが来た。
Citrusって知ってる?」
ただそれだけの単純なメッセージだ。
シトラス。柑橘?
人気のアプリの名称だろうか。はたまた新しいファッションブランド?
とにかく心当たりがない。そもそも、彼女と私は同じ友人グループの一員ではあったものの、個人的に話したことは数えるほどしかない。
栗色の髪を三つ編みに編んで、口に手を当てて小さく笑う姿が印象的な子だった。いい子ではあるけれど、それ止まり、みたいな。
「なにそれ知らない」と突っぱねることも出来たけれど彼女の話に乗ってみることにしたのは、その友人からの連絡の珍しさと、その頃ちょうど4年付き合った恋人と別れたばかりでどこか寂しかったから、はたまた別の理由があるかもしれない。
どれにしたって、平常の私だと取らない対応であった。

彼女いわく、Cirrusとは2人組のアイドルユニットで、今は全国ツアー中らしい。
東京でのコンサートのチケットが取れたけれど、一枚持て余しているから、友人グループで唯一上京した私に声をかけた、と。
Citrus」と聞いても、あんまりピンと来なかった。
十四松くんは知ってた。深夜のバラエティによく出てる子。確か、アクロバット能力がやばいんだよね。
名物司会者のパンツのおじさんとか、大御所芸人のイヤミがなんだかんだ気に入ってる子。なにが面白いんだか、って感じだけど、声をかけてくれた彼女も十四松くんが好きらしい。
隣の子は本当に初見。正直、写真見ても全然ピンと来なかったし。
FruityとAQUAと同期なんだって。申し訳ないことにその二つも名前くらいしか知らないけど、この間の月10でW主演してたのがFruityのおそ松くんとAQUAのカラ松くん。
主題歌をどっちが務めるかでファンが揉めたとかなんとか(結局、ヒロインの橋本にゃーちゃんだったよね。わたし、あの曲好き)。
深夜バラエティーのCitrusと月10のほか2組。その差はさすがに私だってわかる。
だから、正直同期デビューの話を聞かされてちょっとハズレかな、なんて思っちゃった。
どうせなら「月10のおそ松くん見てきたんだよ〜」って言った方が自慢できるし。


そんな感じでファンの子には本当に申し訳ないくらいに、なんもわからない状態で赤宿駅に。赤宿なんて高校の時以来だわ。代々塚体育館なのに、代々塚が最寄りじゃないんかいつって。
道中でAQUAの赤浜アリーナ公演の看板を見て、「体育館て」と思ったりした。

数年ぶりに会う友人は全身がひまわりみたいに黄色いワンピースで、大きなトートバッグの端からはうちわの柄がはみ出していた。腕には「14」の刺繍が入ったリストバンド。
内気で地味な子だったからびっくりした。
彼女は私を見つけると照れ臭そうに笑った。
「十四松くんは私の太陽なの」
へえ、そんなもんか。
だけど、制服姿の彼女より、今の彼女の方が数十倍可愛いのは確かだ。

彼女が十四松くんのファンだということで、私はもう片割れのチョロ松くんのうちわを買った。
どうせコンサートに行くんだし、いい記念になるかな、なんて。
アイドルのファンは、三年くらい前にFUJIO ROCKのライブを見に行った時とはまた違って新鮮だった。もちろんどちらも殆どが若い女の子であることは変わりはないのだけれど、こちらはギラギラ感が薄い。いわゆる戦闘モード、みたいな子よりかは、中学生がお金貯めて来たんだろうな、みたいな微笑ましさが強い。かと思えば、私たちと同年代くらいのスーツを着たお姉さんが開演3分前に駆け込んできたりしファン層の幅広さを感じたり。
みんなに共通しているのは、すごくキラキラと目を輝かせていること。小学生からおばあちゃんまで初恋みたいな顔してんだ。アイドルってなんか凄いな、と思った。
ひまわりみたいな明るい黄色のワンピースと地味目だけど上品なライムグリーンの二人組の女の子たちに囲まれて、一人、普段着の私はなんだか世界に取り残されているような気がした。ペンライトと、知らない男の子のうちわだけがあの時の私をここに引き止めてくれていた。


暗転。
モニターに映像が流れる。
二人が映るたびに沸き立つ客席。ただの写真なのに。それほどまでにアイドルってやつのパワーは大きいのだろうか。
画面も切り替わり会場は一瞬の静寂に包まれる。
アルバムのリード曲のイントロとともにピンスポが当たるステージ。
さすがにびっくりしちゃった。だって、まさか宙づりになって現れるだなんて。

今回のツアーのテーマは、宇宙飛行。宇宙服のような衣装に身を包んだ二人は軽やかに客席の上空を飛び回る。
きゃあ、と沸き立つ客席。その手元で光るペンライトは彼らに照らされる星のようだ。
まるで魔法のような幻想的風景に目を奪われているうちに、メインステージに降り立った彼らは先ほどまでのさわやかさとは一転、激しいダンスナンバーを踊り始める。
あ、これ聞いたことある。確か、バレーボールのタイアップ曲だ。バレーの解説のバックで流れていた時は、まさかこんなにバッキバキに踊る曲だなんて思わなかった。
そう、まるで風だ。彼らの手足は無重力であるかのようにしなやかに舞い、軽やかに飛ぶ。自由自在に四肢を操って、思うがままに舞う姿は、彼ら自身が風になったかのように美しい。
アイドルなんて、歌もダンスもそこそこで顔だけがいいものだと思ってた。
そのイメージを、彼らはたった5分足らずで覆してしまった。
Citrus、侮れない。

そこから先はもうそのダンスに釘付けで。
十四松くんは元から聞いていた通り、身体中がゴムでできているかのようにぐるんぐるんと飛び回る。雑技団かっての。
その迫力に客席はわっと湧きたち、コンサートは盛り上がる。
クロバット成功させた時に、口を大きく開けてにぱっと笑うのがなんだか可愛らしい。
でも、私の目を奪ったのは、驚くことに名前も知らなかったチョロ松くんの方だった。
十四松くんに比べて顔立ちも地味だし、リップサービスも下手くそ。たぶん、アドリブにも弱い。正直、あの同期6人並べられても一番選ばないタイプの顔。
だけど、抜群にダンスがうまい。
十四松くんの自由さとは対照的に、とにかく正確だ。どんな振り付けでも指先一本一本までサボらない。とにかく、所作が美しい。
涼しい顔をして踊る姿から目が離せない。
自由奔放で無邪気な十四松くんとマニュアルタイプのチョロ松くん、一見すごく噛み合わなさそうに見えて、二人並んでるとすごくしっくりきた。
お互いの足りない部分を互いで補いあっている。そのことで、より大きな相乗効果が生まれる。
ユニットってすごい。アイドルってすごい。

ライブの終盤で二人がトロッコに乗る演出があった。
後ろの方の席だったけれど、その時は二人が二階席まで来てくれた。
十四松くんが投げキッスやエアハグをするのに対してファンの子達が黄色い歓声をあげる中、チョロ松くんはどこか遠慮がちで、そこまで派手めなファンサービスをしないからか、きゃあ、の声も十四松くんより小さい。
チョロ松くんのトロッコがこちらに近づいてくる。
私はこういう時どうしたらいいのかわからなくて、先ほど買ったうちわを胸に、ただ呆然とトロッコを見ていた。
ロッコ越しに目が合う。
彼は私に気づくと、口パクで「ありがとう」と言った。
突然の出来事に固まる私の肩を友人が叩く。気づいた時にはもうトロッコはとうに通り過ぎていた。
ええっ、まじ?
さっきまで遠いステージで踊ってた人だ。それどころか、名前も先週知ったばかりで。そんな遠いところにいる人が、私を?
この時の感情をうまく言葉にするのは難しい。けれど、あの顔を忘れられないのだけは確かだ。

ファンなんて、アイドルにとっては有象無象のただの金づるだと思ってた。
ファン(その時は私はファンではなかったのだけれど)をちゃんと大切に思っているアイドルがいるのだ、とその時初めて知った。それは、さながら、太陽が西から昇るくらいには私にとって衝撃的だった。
別にアイドルに個人として認められたいわけではない。ゆえに、この先いつかアイドルにハマってもファンサービスを求めたりはしないだろう。
ただ、彼のファンで居られる少女はなんて幸せ者なのだろうか、と思った。それが少し羨ましいとも。

「次はもっと大きな会場で会おうね」
最後の曲の前の挨拶で彼が真剣な目をして言った。それは、MCやトロッコで見せる下がり眉のどこか自信なさげな笑みとは違って強い決意を感じられるものであった。
私はその言葉に迷わずに頷いていた。絶対に、この体育館より大きなアリーナ、いや、ドームでも彼らのダンスは映えると思った。

あのライブから1ヶ月ほど経った。
あのあと、特に何もしなかったのだけれど、今はただ、友人と行ったライブが楽しかったなあ、という良い思い出だけがふわりふわりと思考の片隅で漂っている。
あとは、テレビで見た時に「お」と思うようになった。でも本当にただそれだけ。さえない独身OLが一夜限りの夢を見た、ただそれだけである。
あの日のうちわは未だテレビ台の前から片付けられずにいる。